大まかな所、伝聞も含めて。なにせあっという間に月日は流れ、いつの間にか70年を過ぎようとしていました。先々代、先代も亡くなっており、詳細は不明になりつつあります。
末廣寿司概略
昭和20年
年東京大空襲にて初代高橋中夫が叔父、次兄高橋六郎と営んでいた亀戸の末廣寿司が被災消失。
兄六郎は幕張の末廣寿司に入籍広瀬姓を名乗る。中夫は長兄高橋五郎を頼り、仙台市河原町に妻節子と共に疎開、
末廣寿司開店の準備に備える。
昭和21年
当地に通称間口三間奥行き二間の店舗を構える。米穀統制下で寿司の委託加工を始める。
昭和22年
長兄高橋五郎より次女高橋美恵子を中夫、節子の養女に迎える。
昭和30年
宮本理吉が高橋美恵子に入籍し宮城刑務所法務事務官退官。2代目を継承。東北学院大学柔道部監督就任、東北学院ゴルフ部初代監督兼務(後柔道部師範に就任。)以降河原町店舗の増改築を繰り返す。
昭和47年
有限会社末廣寿司資本金(900万円)開設。宮本理吉(高橋理吉)代表取締役に就任。第一藤原屋ビル1階に末廣寿司国分町店を開店。(後、当時店長を務めていた、現DNKMSAドンクマサービルグループ社長宍戸信好氏に暖簾分け。)
昭和49年
ホテルサンルート仙台地下飲食街に末廣寿司駅前店を開店。併設して牛タン焼き萬舌開店。後に鰻伝を買収し、3店舗を運営する。(後、ホテルサンルート仙台解体に伴い廃業。)
昭和55年
高橋理一郎、敬子入社。
平成7年
白木進氏にコーディネータを懇願し開始した、仙台市河原町西地区第2種市街地再開発に地権者として参画し、山下設計、鹿島建設、錢高組JVの尽力でのツインタワー広瀬川春圃完成に伴い、現在店舗となる。
平成13年
高橋理一郎代表取締役に就任。3代目継承。
平成16年10月1日
宮本理吉(高橋理吉)死去。
平成17年
高橋理武入社。平成30年4代目継承予定
平成28年
2月1日、又は4月1日(宮城県寿司商環境衛生同業組合調べ)を持って、開店70年を迎える。